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お便りコーナー7
('98/03/09)

アクティブダンサーさんからメールを頂きましたので紹介します。


初めてお便りします。

以前からホームページのほうは拝見していました。 伝言板にもあったように「ユーズド・ゲームズ」という雑誌に パネポンが掲載されていたので、パネポン・ムーブメント(?)を 起こすのは今しかないと思いメールしました。

思えば、私とパネポンの出会いは製品版発売前、サテラビューででした。 その時は「サテラビューもツラいなぁ」という印象しか残りませんでしたね(笑)。 ごめんなさい。 そうこうしているうちに製品も発売され、周りで対戦が流行り出します。 そこで私もやってみたのですが、 まだ「けっこう面白いね」ぐらいにしか思いませんでした。 ところが、対戦でなかなか勝てない人がいるので、 ついにゲームソフトを購入したところ(この時すでに安かったなぁー) 発見してしまったのです。あの「アクティブ連鎖」という麻薬を(笑)。 それからは会社での対戦も定着していきます。 こうして私の1995年は暮れていきました。

私のゲームライフにおいて、 1996年はまさにパネポンの年と言っても過言ではありません。 家ではVSコンピュータで練習し、会社でのアフター5は対戦で燃えるのが日課です。 とにかくやり込みましたね。 するとだんだんプレイヤーごとの性格がハッキリしてきたのです。 ある人が言いました。 「俺、連鎖は苦手だけど早消しなら負けないね。『スピード・スター』と呼んでくれ」 正直「なに言ってんだ?」と思いましたが、同時に「カッコイイなぁ」とも思いました。 そこで私は言いました。 「それなら俺は『アクティブ・ダンサー』と呼んでくれ」と。

これからが本当の始まりだったのです(笑)。

他にも同時消しにこだわる人や、連鎖を追求する人などキャラが立ってきました。 プロレスファンの私は、半ば無理矢理みんなにニックネーム(?)をつけたんです。 連鎖の得意な人には「連鎖請負人」(誰から請け負うんだ!) 同時消しの得意な人には「パネル・イーター」 ルックスのいい人には「パネポンの貴公子」 安定して強い「無冠の帝王」(みんな無冠だけど)など。

ところで同時消しの得意な人の「パネル・イーター」という名前は定着しませんでした。 彼は対戦の勝率はかんばしくないのですが、芸術的な同時消しで名を馳せ、 自然に「○○消し」(○には彼の名前が入る)と呼ばれるようになりました。 例えばノーマル状態での最多同時消し(真ん中入れかえて十字に消すやつ)は 「グランドクロス」と呼びます。 これに目をつけたプロレスファンの私は、 連鎖や同時消しにもガンガン名前をつけました。 十字に消すのは「クロス」それを連鎖ですると「ダブルクロス」「トリプルクロス」 ただ単に縦に連鎖していくだけなのに「ストレイト・ノー・チェイサー」とかね。 他にも構想のみの大技「ダブルチーズバーガー」「カーテンコール」 「ファイナルカウントダウン」とかあります。 とにかくショーアップして盛り上げたかったのです。 会社の中でこんなこと考えてたのは、多分私だけでしょうけど。

対戦しながら思う事は「格闘ゲームみたいに大会があればいいのになぁ」 「ゲーセンに対戦台があればなぁ」「どこかの人たちと対抗戦やりたいなぁ」 ということでした。 それなら自分で動くしかない、ということで他団体(?)に打って出る前に 内部を統一しようとパネポン連盟を結成し、ランキング制の導入を計画。 ランキング決定トーナメントは「P-1グランプリ」と呼ばれ(お約束)、 日時は1996年末、会社の納会後に行われることが決定した。 トーナメントに向けて対戦も更に盛り上がり、 今思えばこの頃が我が社でのパネポン黄金期でした。

ちなみにランキング・ボードも東急ハンズで材料を買ってきて製作しました。 マグネットのネームプレートを使い、順位入れ替え可能の優れものです(笑)。

そして運命の日はやってきました。しかし神様は時として残酷なことをします。 よりによってその日、パネポン連会長(笑)の私は風邪のためダウン。 会社を休むハメになってしまったのです。 組織作りを本気で考えていたのは私ぐらいのようで(苦笑)、 結局トーナメントは開催されなかったのです。 しかし後に、その日の様子を聞くと、 みんなが私の席を訪れ「会長は?」と聞きにきたといいます。 まったくもって無念です。 こうして私の1996年は悲しみの中暮れていきました。

年が明けるとパネポン・ブームはあっというまに去ってしまいました。 やはりトーナメントの中止が痛かったです。 一時は16名もいたパネポン選手会(笑)も激減し、 対戦もままならない状態に陥ってしまいます。 こうしてパネポン連盟は崩壊、私は一部の同志とともに地に潜り(笑)、 ひそかに対戦を続けていったのです。

月日は流れ、1997年末。 私は納会を前に、1通のメールを社内に流しました。 当時の文面を引用します。

    「強制はしない。
    君が戦いを忘れ、平和な日常生活に満足しているならこのメールは捨ててくれ。 しかし、もし君がほんの少しでも連鎖を夢見ることがあるのなら協力してほしい。 心配はいらない。たとえブランクが長くとも、 ひとたびスーファミのパッドを持てば、指が覚えている。手が勝手に動く。 それは神(コーデリア)も悪魔(サナトス)も敵にまわした、 連鎖と同時消しのエクスタシー。

     戦う意志のある者は連絡待つ。」

このメールは極々一部で反響を呼び、なんとかトーナメント開催のメドが立ちました。 結局トーナメントは行ったのですが、 参加人数が10名を割りランキングが埋まらないという情けない結果に終わりました。 それでもトーナメント抽選会とかはすごく盛り上がりましたよ。 (ちなみに私は優勝できませんでした。提唱者は得てしてそういうものです) 私自身は2年越しの夢にケリをつけることができ、とりあえず満足です。

こうして1997年も暮れていき、年が明けてからは、 あまり乗り気ではないみんなに、自分の夢を押しつけるのはやめて、 1人黙々と遊んでます。 今でも1日1回スーパーハードをクリアしないと落ち着きません。 「アクティブ・ダンサー」から「アクティブ・ジャンキー」へと変わってしまいました。 (ただの早消しになってしまい、大きい連鎖ができなくなりました) そんな時に「ユーズド・ゲームズ」がパネポンを取り上げているじゃないですか! これを機に、またパネポンが流行ればいいと思います。 自分に何ができるかわかりませんが、 とりあえず思いの丈を聞いて欲しくメールしました。 ほんとに長くてすいません。 「パネポン64」が出ることを祈りつつ、これからもアクティブ連鎖に励みます。

    熱い熱いパネポンへの思いを込めたメール、本当にありがとうござました!! 「こんな熱いメール、じっくり読まないと失礼だ!!」 と、言っていた開発スタッフもいました。
    でも、対戦する方が周りにたくさんいらっしゃった様で良かったですね!! 対戦する人がたくさんいると、パネポンの楽しみも増えますものね!!

    最近、たくさんの方々から励ましのメールや続編の希望のメールを頂くようになりました。 この皆さんの一つ一つの声を大事にしてゆきたいと考えています。

 また引き続き、皆さんからの メールやおハガキ、イラスト等、 お待ちしています!

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